<   2007年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

再就職・・・

前回、両親を嫌いだと書いたけど感謝していないわけではなくて、しっかりと感謝はしている・・・

再就職した会社は当時バブル全盛期で東京から進出して来た某弱電メーカー
全盛期は社員は1200人ほどの勢いのある会社だった・・・
そこを目指して面接を受け、やはり学歴と言う二文字でふるい落とされた人が数名・・・
何故??と思ったけどその時に初めて学歴重視の世の中!!と言うことを知り、
親の気持ちがわかった次第です~感謝~!!


もちろん今はとても感謝しているし、そこで働いた23年間にいろんな体験、知識、対人関係、恋愛など等・・・たくさん手に入れることが出来・・・またその頃にかなりの貯蓄も出来ました~笑い
ココは地元の人も羨む高収入の企業だったのです~~
そこを辞めて15年ほどが経ちましたが今はバブル崩壊の影響から立ち直れず閑古鳥が鳴いている~~?と言う話を聞くにつれいい時に辞めてよかった~(=^ー^=)と思っている自己中の嫌な女です~(;´д`)トホホ


そこにいる間に今の夫と結婚・・・子供が出来るまではと頑張り第一子を出産♪♪
そこで退社するかと思いきゃ、欲が出て第2子出産まで延長・・・
この会社、福祉厚生が充実していて社内に保育所まで完備していたので~
ずるずると小学校入学まで頑張る予定がまたまた欲をかいて高学年になるまで頑張った!!


このころ同期で働いていた年下の同僚・・・早々に退社し結婚してしまった♪
その同僚(M)の引越しの日に今の夫と初対面・・・Mのご主人は某セメント会社に勤めていた
Mのご主人と夫が同僚だったわけで・・・第一印象は・・・???キライなタイプの人!!


一番イヤだったこと・・・引越しも一段落して皆で食事をしていた時にその人(夫)がお湯をください~♪と私の目の前にあるポットの前に来た・・・
私はMと話をしながらポットのお湯出していた・・・ついうつかり満タンになっているにもかかわらず押し続けていた・・・それに対して止めて!!と言えない優柔不断な人・・・
その時に私はバカじゃないの??って言った様な記憶が・・・


何故そんな人と今一緒に暮らしているか???という話はまたオイオイと・・・(^-^;)ゞ

by seriren | 2007-08-23 10:52

高校生・・・そして社会人~

高校時代は苦痛だった??とは言ってもそれなりに楽しみました♪♪

私立高校と言うのはアチコチの校区から人が集まるのでとても面白いものだと言うこともこの時に知りました
この頃写真部に入りたかったけど・・・カメラを買って~~!!と言えなくて手軽な生花部に・・・
つまらんかつたな~~

でも友達数人で夏休みにキャンプに行き今で言うナンパ??も体験しました~(^-^;)ゞ
友人はその後もそこで知り合った人と付き合ってたようだがその後のことは知らない~

そして卒業の時期が来て私は以前から要望していた叔母のいる大阪へと行くことになる!!
その時一緒に行った(えりこ)本名じゃないのにずっとこの名前で通していた不思議な少女でした~
名前の由来は当時流行っていた橋幸夫の唄から・・・時代がバレバレだね~
その後のえりこの消息はわからない?どこでどうしているのだろうか~?
きっと幸せなお母さんになっているだろうな・・・


そして大阪では寮生活・・・何もかもがはじめてのことだらけ・・・
見ず知らずの他人と同じ部屋で寝食をともにする・・・これも後になるといい体験だったかな~?
寮では一部屋に先輩がひとりと高卒の子がひとり、中卒の子が2人の4人部屋でした
ここでも地方ごとの方言が面白く、季節ごとにあちらこちらからの贈り物が楽しみでもあった
その頃にいろんな地方の名産品などのことを知った。。。

例えば・・・愛媛の伊予柑とか鹿児島のカルカンとか・・・諸々
私は鹿児島出身の福岡育ちなのでカルカンのことは知っているはずなのにこんなに美味しいものと言うのはこの時になって初めて知った~~(^-^;)ゞ

by seriren | 2007-08-23 10:23

過去話・・・

話がアチコチに飛んで何が何だかわからないけど忘れぬうちに書き残そう~??
両親のことをあまり好ましく思ってないように思われると困るので弁解を・・・
感謝をしていないか?と言うとそうじゃない・・・この世に生かしてくれてありがとう(=^ー^=)
ちゃんと感謝してますよ~
もしココにいなかったらこんなに楽しいドラマを体験することはなかっただろうから・・・


幼い頃のわが家は中流の下の暮らしをしていました・・・
でも私はそれを苦労と思ったことはなかった??
まわりを見渡してもみんなあまり変わりがなかったから・・・
子供の頃は何もかもが粗悪品で傘はすぐに破れ、ズック(今で言うスニーカー)もすぐに水漏れ・・・
こんなに粗末なものを履いたりさしたりしてても壊れたからといって親に新しいものを買って・・・とは言えなかった・・・そんなことを言えば親を苦しめるだけ~子供心にそう思って耐えていた?


当然、高校進学なんてことは考えていなかったし、勉強も嫌いだった!!
そんなある日、進路相談の面談の時がやって来ました・・・今で言う三者面談・・・
この時に担任から是非、進学をと勧められた両親・・・公立一本で大丈夫だからと太鼓判を押されその気にさせられ、私といえばその気もないのにそれから猛勉強・・・間に合うわけないのに・・・
b0096584_11252575.jpg


でも内心もしかしたら私も友人達と同じ高校生活が出来る~♪♪と言う少しワクワクした気持ちがあったことも確かです・・・
だが世の中はそんなに甘くはなかった・・・補欠としてのワクは残されていたがそのワクを待つほどのんびりできる状況じゃなかった~!!
当然、担任と両親は大慌てで走り回りました・・・私はその時点で進学をあきらめていました
私立高校なんて行ける経済状態ではないことは長女である私にはよくわかっていたから・・・

それでも気がつけば担任の配慮と両親の経済援助により身分不相応の私立高校に入学することになりました・・・
この3年間は私にとっては苦痛の何者でもありませんでした・・・定期代、教科書代、諸々・・・
何をするにもお金!!それを要求することの罪悪感・・・当然あまりいい顔はされなかったが
途中で投げ出す方が無駄なことと歯を食いしばり頑張り、卒業にこぎつけ就職のため大阪に住むことになったと言うわけです~~ココまで、間違いないよね?(^ー^* )


そして3年間の大阪生活を経て地元に帰りしばらくはブラブラしてましたがいつまでもそんなわけには行かないので就職活動・・・この時になって高卒の二文字が生きて来たのです~♪
この時ばかりは親に感謝しました・・・当時は学歴がものを言う時代だったのです~

by seriren | 2007-08-20 11:42

今昔話・・・

そして月日は過ぎ中学生になりました
このころの私は親の知らない顔を持っていました
家では無口で内気な子を演じ外(学校)ではオドケもののピエロ的な存在!!
これはずっと親の知らないことだったし私自身も何故そんな風に使い分けていたのかは
未だにわからない~~


そのころの父母と私の関係はやはり交わることはなかった・・・
数年、離れ離れに暮らしてた為かどうかはわからないが~
私は両親にお父さん、お母さんと呼びかけた記憶がない??
あのぅ~とか肩を叩くとか・・・そんないびつな親子関係・・・

それが今私の家庭に影響されているのかも知れない
私と夫との関係も冷戦状態・・・
最初はそりゃぁいい時期もありましたよ(=^ー^=)
でも今はほとんど会話もないし・・・私が何か頼んでもわかったのか?
わからないのか??問い返すことをしない人・・・結局は違っているけどね・・・

黙っててもことは終わると思っている夫・・・
娘達も同じ・・・望むものは何でも私が叶えてあげる!!と勘違いしている
おいおい!!もういい加減にしろよな~!!
いい年して・・・アンタらもそろそろ独立していろんな苦労をしろよな!!
いつまでも私が生きているわけじゃないんだから・・・


そしてお盆の話に戻るが・・・
父は昨年4月に大きな病気をしました・・・にもかかわらず脳はとても健康で気難しくて
それが何故か私には手にとるように気持ちがわかりいやになる!!
もっとのんびり病人らしくすればいいのに・・・と・・・
でも多分、耳の遠い母のことや2人の弟の将来のことやひ孫の妊娠のことやらで
頭が爆発寸前なのではなかろうか??

でもアンタがいくら心配してもなるようにしかならんとよ・・・
だが、私も一人になると同じ様なことを考えている~DNAは替えられんのやね~
そんな自分がとてもいや!!替えられるものなら総替えして欲しい・・・叶わぬ願いやね・・・

by seriren | 2007-08-18 11:38

今昔話・・・

お盆恒例の里帰り・・・
と言っても時間にして45分くらいのところ~
里帰りというほど大袈裟なものではない!!
こんなに近い距離ならチョクチョク帰ればいいのだが・・・

私は私の実家がどうにも苦手である??
父は今でいうJRで長年勤務し退職をした人・・・
母はこの父の擁護のもと家族を守り幸せに暮らした人・・・
私には2人の弟がいます~ひとりは50を過ぎ未だに独身!!
下の弟は若気の至りで出来婚をし・・・挙句の果ては娘ふたりを連れ離婚!!

その弟の長女Mが最近、これ又、出来婚・・・5ヶ月目に入りました
他所様の家庭のことをとやかく言う気はないがあえて言わせてもらう!!
あんたらいい加減にしいや!!!親のすねかじってビールたらふく飲んで・・・
姪の婿もいくら若いとは言え少しは遠慮と言うものがないのか~!!!!!!

b0096584_11101243.jpg



父は幼い頃に母に捨てられ叔父に育てられた人・・・
未だにそのことを根に持ってて僻み根性の激しい人
捨てられたのではなくて、戦後のあの時代はそんなことは当たり前のことだったらしい・・・
生きるためにはそうせざるを得なかった~
でも幼い父にしてみれば捨てられた!!と思ったのだろう??

そして父は福岡県に今で言う単身赴任・・・私は母と鹿児島暮らし
小学校に入学するころに福岡に来た・・・ここで私は言葉のギャップで喋ることを止めてしまった!!
小学校に入学しても学校に行くのがいやで途中で何度も泣きながら帰ってたらしい??
このことはあまり鮮明には覚えていないが・・・
近隣の人で教師をしている人がいてその人が一緒に学校まで行ってくれてたらしい??
これも覚えていない・・・

そして2年生になった時に家の引越し・・・
またまた、新しい学校に馴染めず暗い小学校生活を送った・・・
それがいつのころからか・・・高学年になるにつれ少しづつ喋ることも出来??
友達もそこそこ出来たかな~

by seriren | 2007-08-18 11:18

昔話・・・その2

つれづれなるままに青春時代を思い起こしながら書き綴っています
別にストーリー性はないし、くだらない戯言ばかり・・・
自分自身の覚え書きとして残すのが目的かな~~~(;^_^A アセアセ…


前回は結婚について少し触れましたが・・・
その頃の叔父との会話を思い返してみて今は叔父が言いたかったことが理解できるようになった
そう言うことからすると叔父には先見の明があったのかも知れない♪♪

最近のように大人になりきれていない若者が成り行きで出来ちゃった婚をする時代・・・
産んだはいいけど育てる能力もない人、育てたくても経済的に無理な人・・・
挙句の果てには殺したり、車の中に何時間も放置したり、 どれもこれも無責任としか言いようがない!! 
でも中には必死で働ききちんと責任を持って育てている人もいます~当たり前のことだけどね・・・

叔父は30数年前からそのことを見通していたようです・・・
今まさに年金問題で騒いでいますが・・・叔父は将来の子供達に責任を持って
次世代を託すことが出来るのか??とよく問われていました~
そのころの私・・・内気で何も答えることも出来ず曖昧に笑っていた私!!

b0096584_16572625.jpg



叔父さん・・・今あなたの言いたかった事がよくわかる歳になりましたよ・・・
でも残念なことに私も子供を産んでしまいました・・・
ハッキリ言ってこの子らの将来には何の保証も出来ません
産みっぱなしで無責任な親!!そう言われても何も反論は出来ません・・・

デモね~~子供が生まれたときの喜びや夢や希望は本物でした♪♪
これだけは自信を持って声を大にして言えます~
叔父さんたちだってその後、3人目の男の子を授かり家族5人でステキな家庭を築いてますよね~


産まれて来てくれてありがとう♪
産んでくれてありがとう♪♪
必ずやそんな風に思ってくれることを願っています・・・

産まれたくても産まれなかった子や、産みたくても産めない人に対しても
自分のことや家族のことをもっと大切に思いやって生きて欲しいな~
何も大げさなことをすることは要らない!!自然を大切にものを大切に
地球を大切に親を大切に、家族や友達を思いやりみんなで助け合える時代になるといいな~

戯言で矛盾だらけの言葉・・・(^-^;)ゞ
理想論かも知れないけど心からそう祈ります~~まだまだ、続く~~

by seriren | 2007-08-09 17:06

昔話・・・

私が社会人になり大阪に住むようになった頃の話・・・
福岡に住む私が何故、大阪に住むようになったのか~?
それは私が一度は親元を離れ一人暮らしをしたい・・・!!
その要望を母方の兄弟が住む大阪ならいいよ~♪と言うことから始まった

結局は3年間でその暮らしにも終止符が打たれた・・・
その間にいろんな体験をしいろんな苦しみも味わい
そして人生についても悩んだとても貴重な期間だったと思う・・・


今、そのころを振り返ってみて一番痛切に感じていること・・・それは結婚についてである!!
当時、週末ごとに叔母の家を訪れ家庭料理をご馳走になっていました
叔母は当時はバリバリのキャリアウーマンで家事と家庭を両立させる私の理想の女性だった
ある日叔父が私に結婚なんてするものじゃないよ・・・とふと漏らしたことがありました???

その時は今から結婚を夢見ている私を目の前にして何故そんなことを言うのか??
とても不思議に思っていました・・・叔父はその時、結婚はしてもいいけど子供を産むのは
よくよく考えてからにしなさいよ!!と付け加えました・・・当時叔母夫婦には女の子が2人いました・・・

b0096584_10342680.jpg


いろんなことを考え・・・そのころの私は無口であまり意思表示の出来ない根暗な女でした??
それで疑問に思うことも質問もせず~ただうなづいてわかったのか?わからないのか?
曖昧なままで済ませていました~
大阪にいても何も楽しくないしやはり親元がいいわ♪♪ということで田舎に帰ることにしました~


それから月日は流れ私も結婚をし子供も産みました・・・
その時は叔父の言葉などは頭の片隅にもありませんでしたが~
最近そのころの叔父の言葉を思い返してその時の叔父の言いたかったことがわかるようになりました
人生の岐路たたなければわからない言葉ってあるのですね・・・つづく

by seriren | 2007-08-07 10:49